プロフィール1:汚部屋住民の『だらしない女子』だった私がレーシックで変わった生活の前後

この話は、レーシック手術をしたことによって
片付けられなかった私が片付けられるようになった!ということでは、全くございません。(笑)

「片付けられない」+「目が悪い」の組み合わせだった私が、
「片付けられない」+「目が良くなった」の組み合わせで
劇的に生活が変化したので、

プロフィールもかねて
その前後について語ってみたいと思います。

小学校2年生からメガネをかけ始めた

私は小学校2年生の時に
学校の視力検査で引っかかり近視と乱視でメガネをかけ始めました。

男の子から「メガネザル」と呼ばれるのがとても嫌でした。

ちなみに、
その頃からすでに身の回りの整理整頓が大の苦手だった私は、
通知表の「整理整頓」の欄で、いつも「△(一番悪い)」をもらっていました。

思春期に好きな子がクラスにいる中で
引き出しの抜き打ちチェックが行われて
机の中がぐちゃぐちゃだった時は、顔から火が出るほど恥ずかしかったです。

承認欲求の強い私なので、他のことは色々頑張りましたが、
「整理整頓ができない」ことに関しては
「女の子なのに恥ずかしい」と思っていたのに全然できるようになりませんでした。

メガネが見つからない…

「片付けられない私」はとにかくものをよく無くすので
例に漏れず、メガネもよく失くしていました。

メガネを失くすと日常生活に支障の出るレベルだったので
「人の顔が見えない」から出会った人に挨拶できてなくて
『無視されたと思われる』という弊害もありました。

しかも社会人になると、
メガネがないと運転ができないので
「お客さんとの約束にいけない(営業職)」という致命的な状態になってしまいます。

朝起きたらメガネを探すことが私の日課になっていました。

上司にレーシックをすすめられる

配属された部署の上司(営業部長)は熱血で
高校の時は応援団長をやっていたような陽キャな人で、
自分が良いと思ったものはみんなに薦めていました。

私もレーシックをすることを薦められました。
その時は、「レーシック」なんて言葉も知らなかった中で

手術後に鮮明に見えるようになって感動した経験や
営業先でもメガネが一枚ないだけで
お客さんから親近感を持って話してもらえるようになった経験について
聞いているうちに段々と部長の営業トークに洗脳されてきました。
(営業マンは、部長のすすめでメガネをかけている人は誰もいませんでした。笑)

1人だけ事務員さんがたまにメガネをかけていましたが
どうやらコンタクトレンズの長期間使用のために
近視の度数に対して角膜の厚みが足りなくなってしまい、
手術ができない、という検査結果だったそうで

部長は「とりあえず、受けられるかどうかだけでも聞いてくればいい。
受けられるってなってから考えれば良いんだから!!」と言って

新入社員だった私も、同期の女の子と一緒に有楽町の品川近視クリニックに行きました。